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12月30日(木) こんな小学生は嫌だ。年末はずーっと家の片づけをしている。2階の一部屋にある段ボールの山は、5年前に引っ越してきてから放置してあった。 それどころか、実家の父が自分の家を整理するついでに、色々な物を次々と送ってくるものだから越してきた時よりも段ボールは増えている。 「お前の小さい時に読んだ本が出てきたのだが、送るか?」 「いや、いい。捨てて。」 という会話を必ずするのだが、父は必ず送ってくる。ならば「送るか?」という電話はいらないのではないかと思う。 そんな段ボールを整理していたら、自分の小学生の時の成績表やら、ノートやら作品やらが出て来た。予想通りのアホな子どもだった。ノートの端にはくだらないパラパラ漫画が描いてあったり、迷路が書いてあったりするし、テストの点もひどいものだ。妻に「なっ!言ったとおりだべ」などと言いながら最初は笑いながら片づけを進めたが、そのうち、あんまりにもアホすぎてがっかりして疲れてきた。初めのうち楽しかった過去の自分との対面は、だんだん苦痛になってきた。予想以上なのだ、アホさ加減が。 いくつか紹介する。まずは顔シリーズだ。 まあ、こんなもんだ。何かまじめに作るということを頑なに拒んでいるように思える。左は、家庭科の作品だから、少なくとも5年生以上の作品ということになる。右はカールルイ子のネックレスだ。 あとは、こんなものも出てきた↓ 甲賀流忍法と書いたまきものだ。夏休みの自由研究だかで作ったのだろう。 「極秘・伊賀者には教えるな」と書いてある。うーむ・・・。 巻物には、手裏剣の種類が色々書いてあった。「手剣」と書いて、手裏剣と読ませたいらしい。 普進に使われる手剣と書いてある。「普進」←こういう誤字があちらこちらにみられる。 「卍手裏剣 使う忍者はほとんどいない」とは、誰の情報なのだろうか・・・。 左側、「現在用いられていない」と書いてある 「手にはめる ものすごい破戒力だ!」と書いてある。 「壊」の字が間違えていることより、これが、忍者の道具なのかが疑問だ。これはメリケンサックではないか!?右の方にある落書きみたいなのはマキビシというもののつもりだ。敵が来た時地平にまく」と書いてあるが、これも地面の間違いなのだろう。 「先輩 霧隠才蔵 猿飛サスケ」と書いてある。 「マル秘」と書いてある。 何から何まで、痛々しい・・・。 ついでに、作文も一つ紹介しよう。作文もへたくそなものが多い。字が汚いし、ほぼ100パーセントひらがなだけで書かれている。その中でも、これは別格だ。これを段ボールから発見した時には、かなりの衝撃を受けた。 題名は、「ふとったおまわりさんへ」。4年生の時に書いたものだ。 ふとったおまわりさんへ なまいきなおまわりめ。ポリボックスに入っていればいいのに、でぶめころすよ。だいたいおまわりなんてものは、人をいじめるためにいるんだからな。すなおにみちあんないをしてればいいのに、あんななまいきなかおするんじゃないよ。このぉーそんなへんなかおするんじゃねぇおまえのたいじゅうなんきろだ100きろいじょうもあるんあろう。このぉーバカヤロウ死ね。 何があったのだ4年生のまあきちよ。これを書いたいきさつは全く覚えていないが、おまわりさんによほどひどい目にあわされたのか?それとも、何か精神が病んでいたのか?自分の作文ながら、これはひいたよさすがに。 こんなネタの宝庫のような段ボールがいくつもあったのだが、大部分捨ててしまった。 精神分析学だとか発達心理学だとかの領域で、貴重な資料になりそうな気もするが、場所をとるのでね。 で、考えてみれば、私は今日で40歳だ。こんな子どもが40歳かあ。何かとても不思議な気がするよ。 12月27日(月) 寒い朝 レンジャクがやってきた家のそばのナナカマド並木にたくさんのレンジャクがやってきた。赤いのを探したら、1羽だけ見つけたけれど、写真にはうつせなかった。 数日間いたけれど、ナナカマドの実をあらかた食いつくしてどこかへ行ってしまった。 300羽〜400羽ぐらいいたようだ。 樹氷とキレンジャクでなかなか絵になるが、こんなナナカマド食べられるのかな。 これだけ実っていたナナカマドがあっという間に食べつくされてしまった。 12月26日(日) 娘とスキー結局川には行かずじまいだった。遊びに行かず、仕事と呑みだらけの1カ月間だった。飯は良く作った。日曜日に煮ものだのチャーシューだのを作って、数日後のおかずの一品にする。 下の写真は、豚バラのかたまりを塩に5日ほどつけた塩豚だ。塩がきつすぎたので、ベーコンがわりにカルボナーラに入れて食べたら最高だった。 パスタのゆで加減も最高だった。プチプチもっちり。 同僚が、今年もスキー板をくれたので、娘を連れてスキー場に行った。 斜度に強い子なので、一緒に滑っていても安心だ。 11月21日(日) タイヤをかえて、その後本流へ。初めてネットで冬タイヤを注文した。で、その組み換えを午前中に済ませたのだけど、あんまり天気が穏やかなので、午後から地元本流へ行ってみた。 昨日、79cmというモンスターをあげたというHiroshiさんに電話を入れてみると、当然のことながら、人人人という状況らしい。それならばということで、これまたHiroshiさん御用達のあんまり人が入らないであろうポイントにお邪魔させてもらった。 釣り場に着いたのは2時少し前。人はだーれもいない。 川の中ほどまで立ちこんで釣りをした。 釣り始めて少したったころ、40cmほどの魚が釣れた。 ああ、嬉しい。 遠くに人は見えるが、周りには殆ど人がいなく、ホントに静かな時間を過ごせた。 たまに、遠くに汽車の音がしたり、魚が跳ねる音がしたりする以外は、自分のリーリングの音しか聞こえない。 近くでライズがあるので、ミノーにかえると、すぐに2匹目が喰いついた。 なかなか引いたこの魚は、60cmを少し切るぐらいのサイズだった。 それから、1時間半の間に全部で6本の魚を釣った。 サイズも良く、55cm〜60cm前半の魚ばかりだった。 固い竿を使っていたので、釣り味は今一つだったけれど、それでも太く大きい魚は、竿を大きく曲げてくれた。 トロフィーサイズは出なかったが、大型が多かった。 日が陰ってからは全くアタリはなかったけれど、それでもあまりに気持ちが良くて竿をふり続けた。 ふと振り返ると、後ろの河畔林の上にまん丸い月が出ていた。 穴のあいているウェーダーなので、帰りには足先の感覚がなくなり、ふらふらしたが、顔はニヤニヤしていた。 今年はあと何回この川で釣りをするだろう。もっと寒い時期の釣りが、この川らしい気もするが、そうなると今のウェーダーで立ちこんで釣りをするのは不可能だろうな。 この時間から、全く釣れない中、1時間も釣りをしてしまった。 11月11日(木) せっかくの平日釣行だけれど平日釣行とはいえ、前日呑み過ぎて、出発は昼前・・・。まあ、いつものことだ。夕方にも用事があったので、数時間の釣りだったが、釣れなかったなあ。 いつも人が大勢いるポイントも貸し切りだったけれど、魚の反応は1回だけ。 風が強く、濁りもあったけれど、釣れないほどではなかったんだけどな。 帰って、娘を保育所に迎えに行き、飯を作って、風呂に入れて、本を読んでやって、寝かしつけるのと一緒に寝てしまいました。 そうそう、数日前に味噌につけておいた、鯨を食べたけれど、美味しかった〜♪ 本皮?という皮の下の油だと思うんだけど、茹でて味見したら臭かったんだよね。 で、味噌につけておいたら、正解だった。 まあ、ちょっとだけ臭みはあるけど、その臭みが好き!という人もいそうなぐらいの臭いで、私はOKでした。同僚におすそ分けしたら、その同僚も絶賛してくれました。 コレ、夏の羅臼で貰った、大量の魚介類の残りなんだ。最後までどう料理するかわからなくて、冷凍庫に残っていたもの。あと、少し冷凍があるから、それもこうやって食べよう。 11月3日(水) 真の10周年記念釣行 〜スウィートテン釣行〜キンゾーさんと釣りに行った。彼と初めて釣りに行ったのは、2000年の11月だ。 サイト開設10周年もそうだが、キンゾーさんとの付き合いも10年になる。 車止めから河畔までバギーに二人乗りをさせてもらった。(去年は自転車を牽引ロープで引っ張ってもらい、途中のカーブでこけた私を数十メートル引きまわしてくれた。) 二人乗りをしている時に私が考えていたことを、ここで告白せねばなるまい。 彼(キンゾーさん)の背中は大きくて温かだった。一人乗りのバギーなので、密着しないと二人は乗れない。ああ、この時ほど、自分が豊満な肉体を持つ女性でないことを悔やんだことはない。もし、そういう体を持つ女性であったなら、キンゾーさんにこれまでの恩を少しでも返すことができたのに。これでもかというほど、体を密着させサービスしたのに。 そんなことを考えていると、ボクの下半身はキンゾーさんの逞しい背中に微妙に反応していたのだが、それは決して口にしてはならないことであった。もし一言でもそのようなことを口にしようものなら、突き落とされて歩けと言われるのが目に見えている。しかし、秘密にすればするほど、さらに私の興奮は高まっていく。できることなら、このままずっと釣り場に着かなければいいのに。そんな切ない恋心を胸に秘めつつ、今回の釣りはスタートした。 10年前も、道東湿原河川だった。 いったい、この10年で何度ここに足を運んだろう。ゴムボートやカヤックで下ったり、自転車で釣り場に向かったり、テントを張って泊ったりと数々の思い出ができた。雨や雪が降ったこともあった。夜中にテントから這い出し、無数の星を見たこともある。 私はもともと北海道の人間ではないのだけれど、この川には郷愁に似た感情を抱いている。 病気やけが、老いなど、何かの理由でこの河畔に立てなくなったら、きっととてつもなく寂しい気持ちがするのだろうな。 ABU505で釣った、62cm。嬉しい一尾だ。 あらゆる意味で最高の釣りであった。 気候は穏やかで、水の色も良かった。 ポイントポイントで魚の反応があったし、連発もした。 50cmを超える魚が多かった。60p前後の魚も数本出た。 なにより、我々以外、誰一人としてこの川で釣りをしていないかった。何度も通った釣り場だけれど、そんなことは初めてだった。 オジロワシが川べりの木にとまっていた。エゾシカにもタンチョウにも会った。 途中、羆の足跡を見つけた。 「熊の足跡ですね」「そうだね」 という会話はしたが、じゃあ、引き返そうかという考えは我々にはなかった。 ここの熊がいたずらに人間に悪さをするほど、人ずれしているとは思えない。人の気配がすれば、向こうから勝手にどこかに逃げていくだろう。 濃厚な自然の中、人間は私とキンゾーさんだけであった。 この川でクマの足跡を見つけたのは初めてだ。 釣り方のパターンを掴むと、いとも簡単に魚は出た。 40pほどのアメマスが蛙を吐いた。そんな状況でルアーに喰いつくのだから凄まじい。 夕暮の中この日一番の大物が釣れた。 最後に釣れた魚は、エンディングに相応しく、この日一番の魚だった。 キンゾーさんが駆けつけランディングしてくれるまで、ゆっくりと弱らせた魚は67pあった。 「そういうラストはまあきちさんには相応しくない」とキンゾーさんは言ったが、自分でもそう思う。 そういえば、朝からこの日はいつもと様子が違った。 朝、待ち合わせの15分前ぐらいにキンゾーさんから電話があった。 「ウエーダーを忘れたのを取りに戻るから、少し遅れる」 との内容だった。「キンゾーさんがウエーダーを忘れる???」 珍しいこともあるものだが、遅れて到着した彼の一言が憎たらしい。 「まあきちさんのこと考えていて、忘れものに気付いた。どうもありがとう」 なんですと!? 枯れた葦と少し高い鈴の音。キンゾーさんの後姿。10年間ありがとう。 10月25日(月) 10周年記念釣行というには・・・。ひと月前にとってきたグッピーたちだが、数を減らすことなく平和に暮らしている。しかし、1匹混ざっていたテラピアが驚くほどの成長速度で、我が物顔で水槽を泳ぎ始めた。 すくってきたときには一番小さくて、水草の陰や水槽の底でじっとしていたのだが、今や水槽のど真ん中で近寄るグッピーたちを追いかけまわしている。 こりゃそのうち、グッピーが食われてしまうということで、もといた川に放しに行った。 下の娘が「テラ子、テラ子」と可愛がっていたので、ちょっとさみしかったが、これは仕方がない。 その後、昼ごろから、十勝の外れの漁港にシシャモを釣りに行った。 娘が1匹、私が3匹という貧果だったが、隣のおじさんがやさしくしてくれたりして、楽しく過ごした。 風が強い時間帯が長く、少々寒かったが、それでも娘は帰ると言わず、暗くなっても釣りを続けた。 隣のおじさんに貰った魚を合わせても6匹。 しかたがないので、帰りにスーパーで地物のシシャモを買ってきて焼いて食べた。 残念だったのは、釣ってきて干したシシャモを数日後に食べたのだけれど、買ってきたシシャモの方が美味かったことだ。自分で釣ったシシャモは、ちょっと干しすぎちゃったんだよね。 去年も全然釣れなかったけれど、いつか大量に釣れる日は来るのかなあ。 10月15日(金) さよならシロさん縁起でもない題名だが、シロさんが転勤で十勝を去ることになった。と言っても、数年で戻ってくるということだが。 金曜日にそのシロさんと、キンゾーさん、まつさんでウチに集まった。 シロさんの転勤激励会という名目で、キンゾーさんがこの間釣ったブリを食べようという企画だ。 シロさんと初めて会ったのは、2004年に開かれた「第二回まあきち杯」であった。ちなみにまあきち杯は2005年の3回大会を最後に開催されていない。これまでに優勝者が出ていないという北海道でも最高レベルなレギュレーションを持つ、伝統ある大会であるのだが、シロさんは3回のうち、2度の参加を誇っている。 最近では、某港の主として、我々に常に新鮮な情報を提供してくれていたし、釣りや宴会でも何度もご一緒させてもらった。 2007年11月には、まつさんの犯罪を止めなかったことで、ウチへの出入りが禁止になるが、上物のアキアジを進呈してくれたことにより、和解したというエピソードもあった。 出会ったときから、いつも面白い話で我々を笑わせてくれた彼が遠くへ行ってしまうのはさみしいが、数年後の再会を楽しみにしようと思う。まつさんと二人で来ては、飯の釜を空にして帰っていく(この日も二人で4合の飯を平らげていた)彼が次にウチに来てくれる時まで料理の腕を磨いておくことにしようと思う。 天然のブリって初めて食べたかもしれない。 ブリ大根はイマイチの出来、葱豚は次の日が絶品だった。 10月2日(土) ナキウサギ 空振り午前中で仕事が終わり、時間ができたので、山に入った。ナキウサギを見たかったけど、声だけでおしまい。 カエデが見事に紅葉してきれいだった。 京都から毎年ナキウサギを見に来ているという老夫婦としばらく話をした。 ナキウサギが出てきそうな岩穴から出てきたのは、ミソサザイ。 夜は、昔行きつけだった呑み屋に顔を出した。 この呑み屋には、この地をはなれてからも年に1度は呑みに来る。 店に来る人来る人知り合いなので、とてもなつかしく、楽しい時間をすごした。 ナキウサギは見られなかったが、十分に楽しく有意義な休日であった。 |